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1.廃寺巡礼
1.廃寺巡礼 : 嶽山の向こうに寺の跡を探しに行く(その2)
Ƽ : Myあやべ 投稿日時: 2009-07-23 20:21:40 (2544 ヒット)

「嶽」に関する前回の記事で、瓦の転がる地点を弁天社跡と推定したが、その推定には問題があった。陸地測量部二万分一(明治26年測図・明治29年製版)に記されている建物は住居跡らしく、少なくとも明治の時点で人が住んでいたことを示すものと解釈すべきであった。
http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=23

前回、坊口から上がってきた道が市境に達して北へ向かう尾根のユリ道になる地点で、北へ向かうユリ道以外に、左(西北)に分岐して入っていく道が存在していた。

時間不足のためその道を確認するのは爾後の課題として、北へ向かうユリ道を使用した。

結果として、下の(3)に記す弁天社跡を未確認のまま残すこととなった。

左に行けば弁天跡 左に行けば弁天跡



(1)北の谷

前の記事にいう「北の谷」について源流から遷急点(急斜面上端の滝)まで再度調べた。

弁天社跡は無かったが、金属の桶やガラス瓶が転がっていた。

鹿の角も転がっていて一瞬ひやりとさせられた。

金属の桶 金属の桶


金属の桶 金属の桶


瓶 瓶


鹿の角 鹿の角


滝の右岸から右の斜面にある岩の上を回り込む細い道もあった。

ここでいう嶽山台地では、台地の北辺・東辺をぐるりととりまくように道がついていた。

大江と舞鶴の境界をあがってきた道は、ピーク381メートルの手前(西)で斜め南へ回り込む。そしてピーク360メートルとの間の鞍部を越え、「南の谷」の源頭に回り込んで降りる。

大江と綾部の境界に沿ったユリ道となり、坊口からあがってきた道と合する。

必ずしも行政境界の尾根と厳密に重なることなく、上手にピークを巻きながら道がついているのだった。


(2)嶽峠の道

「南の谷」と市原谷との間の道は、勾配が急変する地点の滝を直接くだることは困難である。

降りる観点から考えると、「南の谷」の谷底を降りてきた道は、滝の手前で右岸やや上方にスライドしてから、「北の谷」との間にある急斜面をくだっていることが予想された。

結果、滝の右岸をくだる道を確認した。ただ古道の面影があるのは短い区間だけで、地すべりの急斜面であるだけに、それより下は怪しくなっていた。砕石を敷き詰めたような不安定な斜面で、歩くと砕石状に堆積した小石がさらさらと崩れた。途中、棕櫚の樹が2本並んで生えている地点があった。

嶽峠の道 嶽峠の道


嶽峠の道 嶽峠の道


嶽峠の道 嶽峠の道


棕櫚の樹 2本の棕櫚の樹(手前と奥)




地質調査所の五万分一地質図「大江山」によれば、坊口・仁和・西方の一帯の地質は主としてShale(頁岩)であるが、嶽山台地から市原谷にかけては"Shalestein",containing alterd gabbro or "diabase"(変質斑糲岩、輝緑岩を含む輝緑凝灰岩)である。

ちょうど志賀の側で緩やかな尾根から切り立った急斜面に遷移する一帯、嶽山台地の東辺と南辺が頁岩と輝緑凝灰岩との境界であるように描画してあり、地形と地質に何らかの関係を見いだしたくなる。

ただしここで論じている台地西北側の急傾斜には地質境界は描画されていない。地質の硬さが台地状の地形と関係あると考えていたが、急斜面をくだる嶽峠の道は上記のとおりバラスに覆われており、案外脆い印象も与えた。

この輝緑凝灰岩の帯の西北辺(他の地質との境界)は、原谷から小原を経て市原谷に至り、矢津の北側まで直線上に分布する鞍部の連続とほぼ一致している。市原谷を開拓した芦田氏や、田辺の藩主牧野氏も通ったという「田辺道」(安田重晴『まいづる田辺道しるべ』1998年、82頁)のラインである。地質境界と古道が一致する例という可能性はないだろうか。


(3)弁天社跡

「南の谷」において、前回、瓦や瓶が転がっていた地点では赤黒い紫蘇が懸命に葉を広げていた。

住居跡の紫蘇 住居跡の紫蘇


そこから上流に遡り、谷の方向が変わる地点から谷底をそのまま遡上した。結果、小さな滝と弁天社跡、平らな敷地を確認した。

平らな敷地 平らな敷地


ここにも瓦が多数転がっていた。谷はこの付近で勾配が急になっており、高さ数メートルの小さな滝のほか、やや大きな岩もあった。

小さな滝 小さな滝


弁天社跡の対岸(右岸)にはピーク370メートルから降りてきている谷が流れ込んでいて、谷の末端は土砂が堆積しており、「明治廿九年の山崩」(『志賀郷村誌』)との関係について関心を呼ぶのだった。

弁天社跡 弁天社跡


弁天社跡は正方形で、環濠の外径は4メートル四方、内部の祠跡の石積は2メートル四方であった。

また平らな敷地は5メートル×10メートル(弁天社跡を除く)で、礎石を思わせる形状の石が数点あった。ただ転がっている瓦は比較的新しいようであった。

『丹後國加佐郡町村誌』では「市杵嶋姫神社」について、「社地東西十二間五分南北七間五分面積四十坪」とある。

また『丹波志何鹿郡部』古跡陵墓部では三間四方という話があって、すなわち

「滝蔵山金光寺古跡 坊河内村
千手観音堂三間四方 何鹿郡二十五番札所 行基作大仏也 往古ハ峠ノ上ニ七堂伽藍 今字に市原山ト云 弁才天名高キ清水池アリ」(綾部史談会版『丹波志何鹿郡部』63頁)

である。「峠ノ上ニ七堂伽藍」は、分水界を乗り越す付近に複数の堂が散在していたようにも読める。

この記事冒頭に記した「西北に分岐して入っていく道」を進めばすぐに、この地点に達するのだった。
(坊口と市原谷を結ぶ嶽峠の標準の峠道はどれか?市境の鞍部から真西に下降するか、それとも弁天前を通る方が勾配が自然と考えるか?)

またこの地点よりさらに上流の右岸にも、削平されたような平らな段状の土地があった。嶽ではこれ以外にもところどころ、小規模な段状の土地が目にとまった。

段状の土地 段状の土地




「瀧蔵山光明寺」と、「龍尾寺」との関係はどうだろうか。「瀧蔵」と「龍尾」を崩し字で書くと、似通ってくるようにも思われるが、今のところわからないことはわからないとしておきたい。

この光明寺と龍尾寺との関係のほか、思い浮かぶままの論点をメモしておきたい。

・空中写真で、嶽山三角点の西南にユリ道らしい痕跡が見える。仁和から市原谷へ越える場合、標高点271メートルの尾根をたどり、嶽山三角点の東側を回り込むのでなく西側を回り込むかたちで越えた可能性はないか。

・「北の谷」「南の谷」(仮)の実際の名前。

・地すべり地形分布図データベースに記された地すべりの発生時期。

・長松寺の胎内仏が白鳳のものとされていることと、嶽の寺が正暦の頃にあったとされていることとの関係。
http://city-news.ayabe.ne.jp/kannonreijyo/reijyo010.htm

・『丹波志何鹿郡部』古跡陵墓部にいう「千手観音」の確認。

・「瀧蔵山」の名称の由来。『志賀郷村誌』のいうように「ダケ」か。大規模な滑落崖の滝か。瀧蔵という地名(固有名詞)か。それ以外か。
「志賀郷村字両河内 金剛寺 じひのなみ寄せてかはらぬ瀧の水流も清き瀧のくら山」(『何鹿郡誌』162頁)

・『丹後國加佐郡町村誌』にいう「正暦ノ頃此地ニ龍尾寺ト云巨刹アリシト」と、同じく『丹後國加佐郡町村誌』にいう市杵嶋姫神社の「傳云正暦二年辛卯ノ創立ナリ」の「正暦」は一致している。最初から弁天社があったのか。あるいは正暦二年辛卯はあくまで寺の創立で、その跡地に弁天が出来たのか。

・寺の所属(市原谷集落の成立以前に寺があったと考えるのが普通であり、志賀のものであったかどうか)

・寺の成立時期(本当に正暦か)、廃寺となった時期。

・綾部各地で正暦二年に真言の寺を再興したという情報のある聖楽上人と、「龍尾寺」(正暦)「市杵嶋姫神社」(正暦二年創立)との間に何らかの関係はないか。
http://www.myayabe.net/web/modules/blog/details.php?blog_id=164

・山上の光明寺について真言という情報があることと、長松寺が曹洞宗であることとの関係(長松寺入口の掲示に、道華元達が永禄11年に曹洞宗に改めたとある)

・寺や住居があったとして、食糧はどうしていたか。長年生活すれば墓地も必要になる可能性もあるが、墓地はないか。

・嶽の山頂台地一帯は、志賀と市原、どちらの領分として認識されていたか(田畑・山林の所有権・利用権)。山論はなかったか。分水界よりも、志賀からのアクセスしやすさのほうが優勢して志賀の所属であった可能性。

・山上の住民と市原谷の開拓史との関係。

・謎かけの石碑はどこに埋もれているか。

・謎かけ歌の示すものは『志賀郷村誌』のいうように古銭か。

・嶽の山頂台地一帯に、有史以前から人が生活し、あるいは活動していた可能性はないか。

嶽山地図

【注】これは暫定的な情報を記したものであり、さらに検証を続けることは課題です。このサイトの情報全般についても言えることですが、いずれの記事も当サイトの現時点での認識を記したものであり、情報自体および情報を利用なされた結果(道迷いその他諸般)については免責とさせてください。


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