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3.地理
3.地理 : 胡麻峠から三国岳に廃村生守を探しに行く(その4)
Ƽ : Myあやべ 投稿日時: 2009-09-29 19:47:50 (3563 ヒット)

今回は胡麻峠の近辺にある3地点について記す。

・胡麻峠の北方にある平地
・三国岳の東方にある平地
・関屋から黒部に越す黒部峠

である。


(1)胡麻峠の北方にある平地(2009年9月)

舞鶴市のWEB(ソースは『広報まいづる』)に行永の龍勝寺のことが紹介されている。

白道路出身の由里滴水が龍勝寺で修行したことのほか、龍勝寺の「阿弥陀如来」「勢至菩薩」「観音菩薩」の3体の仏像が「胡麻峠にあった密教寺院から移された伝承を持つ」と記されている。
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/contents/7d34120e0e183bb/7d34120e0e183bb17.htm

また舞鶴市郷土資料館企画展示「舞鶴の山城」(2009年4〜6月)の「亀岩城主上羽氏」に関する展示解説文にも「龍勝寺の阿弥陀堂は上羽氏が平和を祈願して胡麻峠から勧請したと伝えられています」とあった。

「胡麻峠にあった密教寺院」とはどこであろうか。

胡麻峠の鞍部、首無地蔵の背後に数メートル四方の平地がある。

ただその広さは祠ひとつ程度であり、「密教寺院」が入るほどではない。


胡麻峠と小さな平地(動画の冒頭)

大唐内から胡麻峠を越えた道は、標高360メートル付近で黒部道と与保呂道に分かれる。

地図を見るとこの二俣の北、標高270〜280メートル付近に平坦な土地がある。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=352716&l=1352731

これは地すべり地形である。(地すべり地形分布図データベース)
http://lsweb1.ess.bosai.go.jp/
http://lsweb1.ess.bosai.go.jp/pdfview/series21/pdf5335/012.pdf

この平地を見に行くことにした。


(胡麻峠の二俣の北の平地)

胡麻峠の大唐内側は谷道であり、谷底の徒渉も何度かある。標高470メートル付近で谷を離れ、6回切り返して峠に至る。

峠に「胡麻峠524メートル」の看板がかかっている。この524メートルは胡麻峠の南方にあるピークの標高である。

峠を越えると植林の斜面のなかで道が崩れがちになっている。

さらに降りていくと時折、旧道が新道の上側(東側)に残っているのが見える。

大栗峠などでは道が蛇行しながら尾根を刻んでいたが、この道は尾根をそのままストレートに降りていく。

西には養老山の山脈が見える。

養老山に続く尾根 養老山に続く尾根


やがて黒部・与保呂分岐の二俣である。ここから北に黒部道を降りる。

二俣(右黒部、左与保呂) 二俣(右黒部、左与保呂)


地すべりの滑落崖を降りる道は3回切り返す。

すると植林のなかで斜面の勾配が変わり、道がふと平坦になる。

道は平地の中を盛土の道となって続いているのである。

盛土の道 盛土の道


そして平地を通り過ぎると道はまた斜面を降りていく。

平地では道の西側にも東側にも段状の地形がある。

道は平地の西端近くを通過しているから、道の東側の部分のほうが広い。

道の東側の平地 道の東側の平地


そしてこの道の東側の部分では、段状地形に石垣が施工されている。

石垣 石垣


石垣 石垣


この遺構の実質が何であれ、ともかく人工のものであることは確かであろう。

大雑把には広さ100メートル×50メートルの平地で、やや東側が低くなるように傾斜している。

平地の東端のあたりでは石垣より下部に1メートル未満の段がもうひとつあることがわかる。

石垣(左)の下にもう一段ある(右) 石垣(左)の下にもう一段ある(右)


この平地を南北方向に区切るのは胡麻峠の峠道だけである。

東西方向には区切るのは段状地形で、2〜3段あり、緩やかな棚田状である。

ともかくこの平地は東西方向が圧倒的に長く広い。

農耕か、寺院か、村か、それ以外か。

桑飼上の大路では志賀に越える峠道の途上、集落より約100メートル高い平らな尾根の上でも耕作が行なわれていた。
http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=17

ただ黒部では、大路より谷底が広く、集落との標高差150メートルのこの山上の平地を耕さねば農耕地が不足するというほどでもないと思えるのだが。

地元の伝承が一番であるが、仮に寺院と仮定したとしても立地に関して大きな矛盾はないように思えた。

胡麻峠に戻る途中、送電鉄塔の周囲が切り開かれて北方一円の展望が開けた。

相耳の青葉山のふもとに松尾寺が午後の薄白い陽光を受けてたたずんでいた。


(胡麻峠の北尾根から青葉山と松尾寺)

青葉山 青葉山


松尾寺 松尾寺


胡麻峠 胡麻峠



(2)三国岳の東方にある平地(2009年9月)

関屋の奥の県境にあり室町時代に廃村になったという生守村。※

※桜井帯刀「廃村の村『上津、大田和』について」『若越郷土研究』11-3、1966による

その確認は辛酸佳境に入っているが、候補をひとつづつ洗っていくほかない。

『大飯郡誌』によれば「龍蔵院舊佐伎治神社所蔵大般若経第三百十巻奥書」に「永正二年菊月二十二日若州生守村福満寺常住也願主施入景正六郎奉國」とあり、大般若経第九巻に「施主地上元盛又若州遠敷生守村福満寺」とあるとのことで、いずれも「生守村」が顔を出している。
http://www.myayabe.net/web/modules/blog/details.php?blog_id=124

この大般若経への書込みにあらわれた生守村について、『角川日本地名大辞典18福井県』は、小浜の生守のところで引用紹介している。すなわち小浜の生守であるとの前提であろう。

たしかに常住の寺は、若丹国境の山上にはむずかしいかもしれない。

この場合、小浜の生守に現在ある洞源寺と、「生守村福満寺」との関係が論点となろう。

一方、関屋の奥の若丹国境には「生守山」(『若狭國志』『大飯郡誌』)があり、「イモリケ嶽」「サントラ山」(『丹波志何鹿郡部』)とイコールではないかと思われる。

関屋の奥にあったらしい「生守村」のことを考える場合、関屋の奥にある「生守山」との地名符合がどうしても忘れがたいのである。
http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=22

関屋の奥の若丹国境といえば、黒部谷の黒部峠から三国岳を経て猪鼻峠に至る一帯である。

可能性を少しずつ絞る一環として、三国岳の東北東700メートル、標高420メートル付近にある平地を訪ねた。

胡麻峠から三国岳、そして東に尾根をたどり3つめのピーク(約570メートル)、そこから北東に急斜面をくだる。

標高500メートルの細い舌状の尾根を過ぎてさらに下ると、標高400〜450メートルで尾根が浸食され残して平らになっている。

谷の源頭となっている標高410〜420メートル付近に、小規模な平地がいくつもあらわれた。


(三国岳の東北東の平地)

標高410〜420メートル付近の平地 標高410〜420メートル付近の平地


標高410〜420メートル付近の平地 標高410〜420メートル付近の平地


なだらかな源流 なだらかな源流


ここに村を仮定した場合、平地に家を建てること自体はできよう。ただ水や食糧の供給源、塩などを運ぶトラフィックを含めシステムとして村が成り立つであろうことを考えると、その成立性は不明であった。

尾根の一角に小規模な地すべりらしい地形があり、滑落崖の末端に炭焼の跡があった。その特徴は、周囲に黒く炭化した木片が散乱し放置されていることであった。炭そのものか、もしくは生焼けで使えなかった炭なのかもしれなかった。

地すべりらしい地形 地すべりらしい地形


炭焼の跡 炭焼の跡


炭化した木片 炭化した木片


標高点391メートルのある尾根に回り込み、北に進むと、尾根の西側に道がついていた。

関屋に続く道かもしれなかったが、途中で引き返した。

標高点391メートルの尾根西側の道 標高点391メートルの尾根西側の道


三国岳への厳しい急斜面を登り返した。途中、ピーク545メートル(当サイトでは生守山と推定している)が午後の光を浴びて屹立していた。

ピーク545メートル ピーク545メートル


三国岳山頂、胡麻峠を経て大唐内に降りた。

帰途、三国岳西側から東舞鶴の海 帰途、三国岳西側から東舞鶴の海



(3)関屋から黒部に越す黒部峠(2009年9月)

桜井1966にいう「国境(県境)の生守村」の「国境(県境)」は厳密な境界か、それとも広義(境界の近辺を含む)か。

広義に考えた場合、猪鼻峠の東北直下、関屋川を詰めた源流部や、黒部峠の直下の黒部谷源流などは、国境を越えるトラフィックもあるし、尾根上に住むということのデメリットも回避できる。それでも充分な農耕地などは得られず、生活環境としては厳しいであろうが。

関屋川を詰め、猪鼻峠の東北の林道終点を訪ねると、村が立地できるほどの広さがあるといえるか不明だった。ただこの地点は「生守山」の直下ではある。

次に高浜の関屋から黒部谷を詰め、黒部峠を訪ねた。

林道の終点から谷の左岸を西にたどると道は右岸に移り、谷を離れて斜面の道となる。

道の彫りは深い。

黒部峠への深い道(関屋側) 黒部峠への深い道(関屋側)


峠に至ると平らな地形となっていて、道は登ってすぐに降りるのではなく、水平にしばらく歩いたあとに、舞鶴側に降りるようになっている。

黒部峠 黒部峠



黒部峠

峠から西北に尾根をたどるような道も見える。

峠から南に向かえば厳しい尾根を経て三国岳である。

ひとまず峠のみの確認であったが、「国境(県境)の生守村」との関係は不明であった。

関屋の奥の県境の廃村生守。普通に考えればこの険しい県境に生活圏は容易に見いだしがたく、それ故に室町時代には廃村となったのかもしれないが、その存在問題は念頭を去らない。

京都福井県境地図


【注】
これは暫定的な情報を記したものであり、さらに検証を続けることは課題です。このサイトの情報全般についても言えることですが、いずれの記事も当サイトの現時点での認識を記したものであり、情報自体および情報を利用なされた結果(道迷いその他諸般)については免責とさせてください。


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