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1.廃寺巡礼
1.廃寺巡礼 : 拾遺ノート(1)弓削の朝日寺
Ƽ : Myあやべ 投稿日時: 2011-01-23 22:17:18 (2570 ヒット)

綾部WALKER拾遺ノート(1)弓削の朝日寺

「天正二年甲戌正月廿三日ノ夜大雪降ル、ヲヨソ四尺斗ト各令申也、前代未聞無事ト申云云」。

これは京北町弓削にある普門院の大般若経の書き込みの一部分である。

京北町弓削の朝日山の山中に朝日寺の跡がある。
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/maibun/tizu/04-04.html
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=351259&l=1353748

山麓にある普門院の大般若経は、もともと朝日寺にあったようである(京都府立丹後郷土資料館『丹波・丹後の大般若経』30〜31頁)。

上記の「天正二年甲戌正月廿三日ノ夜大雪降ル」は、旧暦ではあるが「正月廿三日」のことなのでこの記事の最初に引いた。

普門院(朝日寺)の大般若経の書込みには上記の大雪のほか、織田信長の比叡山焼き討ち(1571年)、大地震や疫病などの情報が含まれている(『丹波・丹後の大般若経』)。

地震に関しては、「天文七年」(1538)のこととして、「天文七年戊戌正月廿日巳尅大地震云云、天下不思議已而」とある。

疫病に関しては、「天文九」年(1540)のこととして、「天下太病天文庚子ノ春比、凡ソ八分ハカリモ人民死ス、[略]当庄人三百人斗死ス乞」とある。

朝日寺について『ふるさと再発見』(ふるさと京北鉾杉塾)には、「石垣が三段の朝日寺跡がある。仁和寺の末寺で嘉元元年(一三〇三)に建立。廃寺年は不明。」(50頁)とある。

『京都市内遺跡分布調査報告平成17年度』は「平坦面は大小6面あり、大きいものは約70m×20mを測り、石組囲いの中に土壇状の高まりがあり、遺構の中心施設を窺えるものもある」(11頁)としている。

朝日寺に至る道は、朝日峠の東麓の大岩から直に朝日寺に通じる道があるほか、朝日峠から水平に朝日寺に行く道もあり、三角形をなしている。

この付近の山は朝日山といい、朝日峠の西麓に「従是朝日山」の石碑がある。

また朝日峠には元禄や享保の年号のある墓石があり、『ふるさと再発見』では「峠に上がるとすぐに神宮寺跡」があるとする。

京都市文化財ブックス第22集『杣の国−京北・文化財のしおり』(2008年)では朝日寺について、

「明確な記録が少なく創建年代は不明だが、一説には嘉元元年(1303)に遡ると言う。現在上弓削の普門院に伝わる大般若経の奥書には、延元元年(1336)に朝日寺の僧が願主となってこれを転読したことが記されており、この時には確実に存在したと言える。また、現在、京北各所に伝わる仏像や経典には、もと朝日寺のものとする伝承が少なくなく、古くはかなりの寺勢を誇っていたものと推測される。」(57頁)

としている。普門院の大般若経については同書38頁に記載がある。


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